2016年8月アーカイブ
2016年8月6日
朝の牡丹江市内を宿泊先の部屋から、黒龍江省で2番目の街です。
朝鮮冷麺を頂きました。
腹ごしらいも済んで出発です。
途中、渤海遺跡を見学する。
渤海は8~9世紀に北は黒竜江に接し、シベリアおよび沿海州南部から、
中国の東北地方(旧満州)の東半分、さらに鴨緑江の南の平壌を中心とし
た朝鮮北部に及んだ。つまり、現在のロシア・中国・北朝鮮の三国に及ん
でいる
唐の文化を取り入れ、仏教文化が栄えており、唐では渤海を「海東の盛国」
と呼んでいたという。
(713年に唐から渤海国王に)926年に契丹に滅ぼされた。
お城跡地に建てた博物館です。
沢山の遺跡が保存されています。
城壁跡です。
渤海上京遺跡の発掘写真
興隆寺
渤海上京城代に建立の仏教寺院
奥の院でご本尊や石塔は当時のままで歴史を感じます。
古びた平門は当時の建造物。
樹齢1000年以上古木
ようやくハルピンに帰ってきました
2016年8月5日
大東亜戦争の終戦も知らず戦い続けた日本軍の地下要塞が足元にあ
ります。
地表から見えないが41ミリ砲台跡が高台にあるだけで砲弾も地下か
ら装置したようで司令部や兵舎、全てが生活できる要塞で何万人の
中国人が建設に従事し、病気になればハルピンの731部隊に送られ人
体実験の研究に使われたようです。
要塞の完成時は秘密保持の為、作業に従事した中国人は全て銃殺さ
れた歴史の地でロシア、中国朝鮮軍と最後まで戦いが続いた地のよ
うです。
抗日戦士中国将校(左から2人が金日成像)30代の若き日の碑を背に
興凱湖は中国黒龍江省虎林(国境)ロシアのウラジオストクの北方
に位置し琵琶湖の約6倍超の面積がありあまりにも広大で海と錯覚し
てしまう。
網から魚を獲りこんでいる漁民
近くの沼一面に蓮の花が色鮮やかに咲いており思わずカメラに収め
る。
湖畔は観光地と宣伝しているが整備がまだ整っておらず滞在を取止
めて鶏西インターへ、此方は炭鉱(野天掘り)が多く産出した石炭
が到るところで見受けられる。
雨が降りそうな雲行きの中、牡丹江目指して