中国北方を支配した女真族の王朝、歴史上の金王朝(満州族)都を
訪ねてみました。
金朝が黒竜江省の南部、ハルビンより23km阿城区南白城会寧県に
金王朝の都城と定め上京会寧府を設け四代38年間にわたって都城と
された後に中都燕京(現在の北京市)へ遷都(遷した)。
現在当時の城壁と皇城の遺構は比較的よい状態で保存され、亜溝石刻
完顏阿骨打陵等の金代初期の遺跡を見学しました。


当時の城壁内でいかに大きな宮殿が立ち並び権力の大きさが想像で
きます。


城壁の堀があったところに小さな川が流れており古橋を渡って陵墓
遺跡など見学が出来ます。

城壁の外側に丘に並行して陵墓があります。


皆様、皇帝の守り神竜の足指は何本かご存知でしょうか、
北方の金王朝は皇帝龍の指は3本で南宋(南方)は4本だそうでう。

初代皇帝の墓陵です。


白い大理石に彫られた龍が雪に埋もれている。
石的亀は建立当時の守り像です。

前方は入ってきた陵墓門です。

陵墓の横道を行くと地下に皇帝が眠っている安置(墓)所がありま
す。

地下には2階があり一番下の左の部屋は皇帝の愛馬の像と壁には当時
の像が埋め込まれて保存されています。右側の部屋は皇帝が移動に用
いた馬車が保存されていました。



中央の部屋は金王朝(満州族)初代皇帝が眠っている石棺が安置さ
れています。

霊廟でお参り


家臣に護られている当時の装飾など良く分かります。


阿什河(旧名は阿勒楚喀河)が市域の中部から流れ、西部には張広
才嶺の西麓の山地、東部には松嫩平原が広がり1年の平均気温は3℃
降水量は518mm。住民の15%が満州族のようです。

満州族は長い歴史をもつ民族で、その祖先は2000前の粛慎人までさかのぼり
漢代に「挹婁」、北朝期に「勿吉」、隋唐代に「靺鞨」と呼ばれ、その後の
北宋~明代に女真族へと発展したそうです。
従来、長白山以北の黒竜江の中・下流、ウスリー川流域の広大な地域で暮らし
ていたようです。
1583年、建州女真族の首領であったヌルハチが女真族の各派を統一、八旗制
度を創設して、1616年に金王朝を建国した。

八旗制度は政治、軍事、生産という三つの面の職能を持ち、満州族社会の根本的
な制度となり満州語を作り、1635年に、民族の呼称を「満州」とした。
1636年には皇太極が帝となり、国号を清と改称した。
1644年、清の軍隊が山海関の内側に入り、政権を奪取し北京に首都を定めた。

満州族は学問を重視する傾向があり、文人も多く輩出している。
満州族独特の民族衣装に"旗袍"「チーパオ」(チャイナ服)がありヌルハチが八旗制度を
制定した際に"旗人"の公式装束として定めた為についた名前だそうです。
清代の宮廷料理として、"満漢全席"も有名です。
近くに祖先を偲び祈願する為このような寺院を建立して多くの方々
がお参りに来るそうです。

私もお参りをさせて頂きました。


当時のハルピンは小さな漁村で此方の阿城が栄えていた当時の風景が
空想ですが浮かんでくるようです。
やはり地形的にも狩猟民族(満族)で原野(林)が多く狩りをするに
は適した大地であったようです。