2014年2月23日
社員の案内で国際結婚の登記及び公証処で申請手続きに,空いた時間
を利用して湖南省・長沙市の東、約4km付近に、馬王堆(紀元前2世紀)
と呼ばれる小高い丘があり見学に行きました。
現在は病院内の一角になっている。
1971年に、ある病院がこの丘で建設工事中に古い墓と見られる遺跡を
発見し、掘り進んで行くと、前漢時代の墓であることが判明した。
馬王堆1号漢墓
発掘当時の写真です。
墓の盛り土を取り除くと、地下16メートルで厚い板に覆われた外棺
が現れ外棺は5つの部分に仕切られており、中央の空間には4重にな
った木棺があり、回りの4つのスペースには実に1000点を超える様々
な副葬品が納められていたようです。
当時の写真(棺)です。
中央の棺に着物を何着も羽織って実に2200年の間、眠り続けた古代
中国の貴婦人が安置されていた。
4重の木棺の一番外側は、黒漆が塗られており、2番目の棺は雲が渦巻く
中に、神話上の怪獣など見事に描かれ、3番目の棺は赤の漆の地に、
龍、虎、仙人などが極彩色で描かれて美しく、一番内側の4番目の内棺
は豪華に鳥の羽と刺繍で飾り立ており、その中に20枚以上の絹の着物
に包まれて、一人の女性が眠るように横たわっており
遺体は身長154cm、体重34kg、年齢50歳ほどの女性であり
亡くなったのは、今から2200年も前と推定。
後の調査によって、この女性は長沙国で宰相をつとめていた利蒼
(りそう)の妻、辛追で紀元前186年に死亡したことが判明したそ
うです。
写真のような着物を羽織っていたそうです。
遺体は、ミイラというよりは、生身の遺体と言えるもので驚くことは
身体には弾力があり、指で押すと、くぼんだ後、また元に戻ると言
った状態で、太腿の動脈も死後まもない死体と同じような状態であ
ったようです。
毛髪は黄黒色で白髪はなく、引っ張っても抜けず皮膚の上には毛穴が
見られ、手足の指紋も確認でき関節はいくらか曲げることもでき、
内臓も完璧にそろってお左肺には結核の病巣が石灰化していた。
胃腸を調べたところ、喉から胃にかけて300余りの瓜の種が連な
って残っているのが見つかり直腸の内部には寄生虫の卵の固まりが
検出され血液型はA型で、生前は皮下脂肪が多くかなり太っていたと
見られ、体重も70キロ以上はあったものと思われ次のような事実が推
測された。
この婦人は、今から2190年前の6月のある日、暑い昼下がりに瓜を食
べている最中、持病の胆道けいれんを起こし、それが原因で心筋梗塞
をひき起こして、ぽっくり死んでしまった。
1000点を超える副葬品の中には、衣類や食品を納めた48個の竹こうり、
化粧用具一式などがあり、その贅沢さは大変なもので当時の上層階級
のご馳走が副葬食品リストから知る事が出来る。
た方法で調理さ、高価な菓子類、珍しい酒類などと出されたと思われ
る。
現在のレストランでは一卓、200万円は下らないほど豪華な内容であ
ったようです。
2200年も前の遺体と副葬品から事実が解明されるのは奇跡と言うしか
なく、このような生身の遺体は「湿屍」(しっし)と呼ばれ、中国の
長沙地方は高温、多湿として知られ、夏には40度を越す日も珍しくも
ない、何でも腐りやすい遺体の保存には全く向いていない地方に遺体
が2200年も間、ほぼ原形を留めていた事は、実に不思議という他はな
いようです。
現在、長沙博物館で保管
歴史で有名な馬王堆1号漢墓を観察でき実にラッキーでした。
今日の長沙は汚染された猛毒ガスで町中が霞んで見える北京や上海
の問題ではない。
一刻も早く空気の澄んでいる桂林に帰りたい。
長沙駅背に